治療が終わって(ウィルムス腫瘍、ステージ2)
5ヶ月近い治療が終わった。
※治療自体は18週間だけど、その前後に手術や経過観察を含む
長かった気もする。
今振り返ると、一番辛かったのは在宅勤務と育児を両立しなくてはならなかったことのような気がしてしまう。
他の子ども達は保育園に通うようになり、ということは同僚も在宅でもフルパワーで働けるようになり、なのに自分は…という気持ち。
目の前に自分を欲している子どもがいるのに、待って待ってとこなしながら、仕事をすることの罪悪感。
数ヶ月前、手術前は、健康でさえいればいいと思ったのに…、という自己嫌悪。
これが辛かった思い出のように感じるのは、だけど直近の出来事だからだろうと思う。
よくよく思い出すと、ICUで『おうち帰るー』と泣く子どもを置き去りにしなくてはならなかった日。
手術室の前で、先生に託した時。
手術が終わるまでの待ち時間。
手術前、飲水禁止なのに水を欲する子どもに与えられないこと。(なのに伝わらないこと)
数ヶ月前は本当に苦しい思い出がたくさん。
このことを、どうか忘れないでいたいと思う。
息子は忘れてしまってもいいけど、私だけは。
この期間のおかげで、気づいたことがたくさんある。
忘れないようにしたい。
闘病していたお友達が亡くなって
Twitterをきっかけに知り合ったお友達のお子さん。
同じ月齢で、息子よりも先に闘病生活をしていて、今回偶然にも息子が似た境遇になって。
その子が先日、亡くなった。
私は初めてツイッターの投稿で涙を流したし、大人になって以降、人の死で涙を流したのは初めてかもしれない。
そんなことがあったのがもう2ヶ月以上前。
その間、息子は順調に毛が抜け、顔色が少し悪くなり(全て副作用)それでも日常生活に支障はなく、コロナの影響もあり退院し、普通の生活を送っていた。
そんな生活は今も続いているし、先日最後の抗がん剤治療を無事に終えた。
それを申し訳ないと思うのは違うし、彼女たちに起こったことは辛い。悲しい。やりきれない。
だけど、今そうでないからといって、私たちに似たようなことが起こらない保証はない。
というか、いつ起こってもおかしくない。
当たり前のことなんだけど、改めて。
老後が心配で貯金ばかりして、日々を楽しめない人がいる。
節約して安心するその数千円と引き換えに、楽しむべき今を失っているのかもしれない。
そのどちらを選ぶべきだったか、わかるのは何かが起こったあとでしかないけど。
私は、彼のことを絶対に忘れない。
息子にも頑張っていた彼の話をいつかしてあげたいと思う。
リメンバーミーの世界観が本当にあると信じたい。
そんなこと、これまで思ったこともなかったけど。
現世を楽しむ、その後の世界もきっと楽しい。
彼は今そこにいて、私たちが今会えない人たちとともに、楽しくやっている。
息子の身に同じことが起こった時、そう思うことは不可能だと思う。
でもだからこそ、今は、そう思って生きていけたらと思う。
過去に戻って選べるとしたら…
時間のこなし方が難しい。
このテーマ?投稿の内容は、病名を伝えられた数日間の間に思っていた内容です。
今は、ショックは過ぎ、ある意味新しいこの生活に順応しかけています。
そういえば、同室の先輩ママが言っていたな、『慣れられないというか、慣れない。慣れたくないもん』って。
過去に戻れるとしたら。について。
病名がわかり、手術をした後くらいだったかな。
当時の私たちは、有り余る夜の時間をうまくこなせず、だけど眠れず(いや夫は眠っていたような気がする)面会のあとは徒歩で帰宅することをしていました。
5キロ弱だから、1時間くらいをこなすことができる。
なによりこの1時間は、病院という非日常から、仕事をする自宅という現実に戻る、そのダメージをゆっくりにしてくれる効果がありました。
(悩みがあって時間もある人にはおすすめしたいけど、育児中は時間がないんだよなぁ)
息子の顔を見て、同室の家族や子どもを見て、感じたことなんかを咀嚼する時間。
どちらが言い出したんだっけ?と会話を思い返していたら、私からの発話だったみたい。こんな会話をしたのでした。
『人生に”もし”はないけど。彼(息子のこと)と過ごした思い出も記憶もある今、じゃあ子どもを産まなければよかったかというとそれは全く思わない。ここまで深く自分ではないものの痛みや命のことを思い、どうしようもない気持ちを味わうこの経験に意味がないとは思わない。彼がこの病気になったことに必然性はないけど、これを意味のあるものにするかどうか、ただ過ぎるのを待ってもいいかもしれないけど、私はこれを糧にしたいし、彼にもいずれそうなってほしい。』
必ずしも、すべての出来事に意味付けする必要はないし、治療期間を乗り越えればいいだけの話ではあるのですが。
命は大事、健康は大事、って、誰でも知っているし、誰もが口にする。
だけど私はこれまで、その本当の意味が分かっていなかったのかもしれません。
息子には、たくさんの楽しいこと、喜びや、苦しさや、どうにもできない理不尽を味わったりしながら、世界を楽しんでほしいんだよな。
二歳の今の時点で、たくさんの寂しさや痛みや、そういったものと戦っているから、ぜひ神様がいるのなら、人生全体でその帳尻を合わせてあげてほしいなって思いつつ。
過去に戻れるなら、と人が言う時、それは別の人生を選択することが多いような気がしています。
だけど私は思わない。
私に意識がある限り、こんな思いをすると知っていても子どものある人生は素敵だと思う。
自分で産むとかそんなことは関係なくて、大事なもののある生活というのは、とても尊い。(これもあとで書きたいと思うけど、今回のことがきっかけで、犬猫も家族という意味がよくわかりました)
私の人生に登場してくれた息子には、感謝でいっぱいだな。
もっとたくさんの気持ちを、一緒に勉強していきたいな。
見た目問題について考える
以前どこかで書いたかもしれないけど、私は小児喘息持ちだった。
で。風邪をひくくらいの体調不良になると喘息の発作が起こり、なので部活を休んだりすることがあった。
その時にいつも思っていたこと。
『喘息の発作が、目に見える症状ならいいのに。』ということ。
喘息は、動作に対して呼吸が辛くなる。
(普通に生活していても辛いときは辛いのだけど、安静にしているとそうでもなかったりする。学校を休まなくていい程度の時には特に。)
なので例えば、移動教室の階段が辛かったりするのだけど、友達と一緒だし、頑張ってしまう。とか、授業中すごく咳が出てしまったり、とかだけど、ピークを越えると落ち着いたりする。
だから、例えば部活で辛い練習をしているみんなに申し訳ないような気持ちになる。
申し訳ないはちょっと違うかな。
さぼっている感が出てしまう。ような気がしていた。
みんなに対してというより、教師がそのように見ていた気持ちを、感じ取っていた。
というわけで、冒頭の想いに着地する。
『目に見える症状ならいいのに。』
だけど今回、見た目問題について真剣に考える機会が与えられた。
見た目問題について考えさせられたきっかけはこちら。
・息子は抗がん剤治療をしているので、近い将来必ず髪の毛が抜ける(マルコメにする予定です)。
・だけど今は、手術前と大きな【見た目上の】変化はない。
・姪っ子は眼鏡をしていて、見た目問題にさらされた経験がある。
見た目に明らかななんらかの症状のある場合、メリットとデメリットはこのあたりだと思う。
メリット:『あの子はずる休みをしているんではないか』みたいなことは言われにくそう。
デメリット:『なんてかわいそうに』という、過度な同情にさらされることも。
※書いていて思ったけど、病気やけがをしておいて、メリットもデメリットもないもんだと思う。
言葉のチョイスが不謹慎だな、とも。
話は戻って。
デメリット欄に書いた『なんてかわいそうに』。
この他人の感情を、どう扱えばいいのだろう。
たしかに、病気と付き合わなくてはいけないことは、かわいそうではある。
できることなら関わらない人生の方がいいし、闘病や手術に耐える勇気や根性はとってもかっこいいけども、別のことで使いたかった、とも思う。
・だけどそれは『かわいそう』の一言で片づけていいものなのだろうか。
・そもそも『かわいそう』という言葉の持つ冷たさ、それが問題なのだろうか。
・なぜ、他人にかわいそう認定されることが嫌なのだろう。
ちょっとまだ、これに対する自分のなかの答えは出ていません。
『かわいそう』との付き合い方については。
というのと、そこから話が脱線した文章を書いてしまったので、今大幅に消したところ。
見た目問題について。
今回なぜこのようなことを考えたか、そのエピソードをメモして終わりにします。
息子の病名を妹に話した際に、彼女が言っていたこと。
(前提条件:彼女の娘は眼鏡をしている。この直前に私は、息子の病気に「向き合う」と発言した。)
妹:向き合うというか、逃げられないもんね
私:でも、人に言わないとか、こそこそ生きるとか、そういう方法もあるなかで、逃げないようにしようという意味だったんだよね
妹:そっか。(姪っ子の名前)の場合は逃げるもなにも、見て明らかだから、隠せなかったんだよね
このやり取りで、彼女の中に、見た目問題との付き合いがあるのだと感じたのがきっかけで。
彼女はとても性格がよく、いい子で、だけど、これは自分でも言っていたことだけど、文字情報が嫌い。
なので、自分の中でそれを咀嚼しないために、言語化されにくいことがある。
だけど要は、彼女が娘の眼鏡について感じているのは、見た目問題。
私はもともと、眼鏡はポジティブに変えられると思っているけど(現に大人がそうではないか)子どもの眼鏡にはまだ、そういう文化は浸透していないようで。
そう、きっと、文化・空気なんだな。
プラスサイズモデルも素敵じゃん、とか言いつつも、過度に太りたくはない自分とか。
もともと、ピクシーカットにしたいくらいに迷いつつ、男に生まれたら絶対坊主!とかいいつつ、息子の髪はそこまでできていなかった自分とか。
↑この前提がありながら、抗がん剤と聞いて、髪の毛が抜けてかわいそうと思ってしまうことを危惧する自分とか。
それもきっと、大きな流れが変わっていけば、違うんだろうな。
多様性多様性言われるようになったけど、それが進んでいるとは全く思わないけど。
社会が変わるのを待つのではなく、選択しながら、意思を持って消費活動を行うことが、社会を変える一番の(消費者としての)近道なんだろうな、と最近は思う。
※結局大きく変えるのは、マーケティング。マーケティング予算を大きく使えるのは法人。法人が動くのは、消費者の行動が変わってきた、変えられそうだと思う時。
昔は、新しいサービスやなにかで変えられると思っていたものだったな…若かったんだ。
というわけで、結局脱線してしまったけど、見た目問題にポジティブな企業の製品を応援したいと思っています。
なんて安直な結末。
息子の小児がんが発覚、初回来院から入院決定までの序盤の記録
人生はなにが起こるかわからない。
今週それを痛感する出来事があった。(タイトルの通り)
このブログを読んでいる人のなかに、私の友人が一人いる。
なので書くかどうか迷ったのだけど、今後私はこの事態に向き合うことに決めた。
となると、
身近な人に隠すようでは向き合っているとは言えない。
だから、書き残すことにした。
息子が小児がんになりました。
ウィルムス腫瘍というもので、手術のあとに抗がん剤治療が必要です。
あとで詳しく書くけど、発覚の2日後には手術を行い、手術は無事成功しています。
◆経緯
息子は0歳から保育園に通っている。
なので風邪の移し合いはよくあるのだけど、今回は発熱が長かった。
起こったことを羅列すると、こんな感じ。
金曜:保育園から発熱にて呼び出し
土曜:病院へ。数日様子見とのこと。
日曜:熱が続く。
月曜:熱が続くため、再度病院へ。
血液検査で異常値が出たため、再度検査。結果変わらずのため大学病院紹介。
大学病院で各種検査。
最寄りの、専門医のいる病院へ救急車にて搬送。
入院へ。
◆経緯に対する所感
あまりおかしな(不手際というか)行動はしていないと思う。
唯一あるとすれば、土曜に初めて来院した時点で血液検査をしたら、発覚が早まったのかもしれないが、その程度。
仮に1か月前に発覚していても、多少腫瘍のサイズが小さいことがあったとして、行うことは同じなので、誰を責めることもない。
それでいうと、この病気は10,000人に1人の発生確率らしいので、一瞬神を恨んだりもしたが、手術が成功した以上、神に感謝すべきだと思っている。
◆それ以外に思ったこと
入院編、手術編、などは別に改めるとして、今回の記事では序盤の記録を。
まさか、自分の息子ががん患者になるなんて思ったこともなかった。
会ったことのある人は知っていると思うけど、100メートルの道があれば80メートルは走っているような子で、とにかく元気で声も大きく、その方面で苦労していた。
なので、単に大きなおできができた、くらいに思っていた。
おできというのは便利な言葉だと改めて思う。
実際おできであることは間違いなく、だけど、一つあるのは、それが悪性であったということ。
がんというと人生終わりな感じがあるが、要は、小児がんの中に、さまざまなもの(白血病含む)があり、おできかつ悪性のものも小児がんに含まれる、ということらしい。
これはもっとシンプルな言い方があると思うけど、面倒なのであとにする。
序盤に思ったことは、ただ一つ、おできを取れば大丈夫だよね、よかった。
でも。
その見解が甘いということを匂わされ、数か月、という期間のめどを伝えられ、暗澹とした気持ちで帰宅したのが、入院初日でした。
◆今の私
今の私は、元気です。
だけど、心の扱い方がまだ、うまくできない。
家にいるのがつらいし、どうしたらいいんだろう。
だからブログを書くことに決めました。
たぶん、とっても脈略のない文章の連続になると思う。
これは、誰のためでもない自分のためのもの。
いつか懐かしく読み返せたらと思っています。
喪が明ける、という感覚
息子が二歳ともうすぐ半年になり、楽になったかというとそうではないけど、だけど0歳児の頃よりは確実に楽しい瞬間は増えた。
そんなことを思えるようになった最近。
なんだけど、先日知人のFacebookの投稿を見て思ったこと。
彼女のところは、息子さんがもう小学校三年生くらい?
曰く、気づけば一人でご飯も食べているわけで、成長したなぁ、とのこと。
それを読んで思ったこと。
彼女の喪の期間は終わったのだな、ということ。
これはとても不謹慎な考え方かもしれないけど、少なくとも私にとって、授乳中、離乳食期、時短勤務、そのどれも、喪に服している期間のように思えてならない。
それも、女だけの。
彼女はその期間を終えたのだなと。
もともと仕事を頑張る彼女は、これからますます、仕事でもプライベートでも輝いていくんだろうなと。
そして、数年後の自分がそうなれるとしたら。
いざ喪が明けたら。
今のこの「喪に服している」時期を、他責にして甘えて過ごしていたら、きっとそれは大きな差を生むものになるんだろうなと。
私は子どもが苦手だし、子どもを持った今も、育児が苦手。
だけど息子のことは大事だし、彼のおかげで気づけたことも、見える世界が広がったことも、たくさんの苦難も、そのすべてに感謝している。
もともと敬遠していたことだからこそ、彼のおかげで経験できたことに、本当に感謝してる。
だから、彼が理由で不自由(DINKS期比で)だったりすることに対して、彼のせいで自分のなにかを奪われた、みたいな言い方は絶対にしたくないと、ずっと思っている。
これは自己責任論でもなんでもなくて、単に自分の美学として。
今、社会に思うこと。
夫に思うこと、年配の人に、社会にいるあまたのおじさんに、思うこと。
それは、彼がくれた今の私だからこそ気づけることで。
正直、毎日がハードモードすぎるけど。
たまにこうやって、初心を忘れないようにしていかないと。
明日もがんばろう。
この3ヶ月のこと。仕事に引っ越しに…。
最後に更新したのが9月末。
3ヶ月も間が空いたのは、初めてのことな気が。
その間していたことといえば…。
・たまに転職活動
・物件売り出し
・物件探し(内覧予約、内覧)
・売買契約締結
などなど。
大きいのは、また住み替えることにしたこと。
今回はものすごく近所への引越しなので、保育園その他生活は何も変わらず。
(むしろ変わらない中で選択した感も)
変えたくない=譲れない要素、だと思っているので、今回の物件探しで初めて、自分たちに弱みができてしまったのだなと痛感したり。
その弱みがあるということこそが、家族ができていくことで、地域の一員になるということなんだな…なんて、あぁなんだか大人だついに…なんて思うのでした。
(独身の時は、通勤のことさえ考えればどこに住んだっていいわけで)
他には例えば、姪っ子の幼稚園入園が決まったり。
そのことで、妹が楽になるといいなと思いつつ、それはなかなか難しそうなことを思ったり。
同時に、保育園に助けてもらっている自分の楽さを思ったり。
(楽だと思ったことはないけど、どう考えたって自宅でみるより楽に決まっている。1日のうちに余暇はほぼないが)
家族や身内や、大事な人のことを思うとつい熱くなってしまう。
これはそれこそ私の弱みだけど、弱さや痛みがあるから見える世界がある。と信じてる。
お店を持つことや、将来好きな人だけで仕事をしたいこと。
今の私の弱みが、いつか活きますように。
お店作り:食品衛生責任者取得
ここで書いている件、進めていこうと思うのでメモを拡大していきます。
ビジネスアイディアを書いたら盗まれる!と言う人いるけど、たいていの人はやらないから大丈夫。
まず、食品を販売するには必要らしい、食品衛生責任者の資格取得。
これは、夫にお願いすることにしました。
私がこのお店構想を口にし始めて2年弱になるけど、だんだん興味を持ち始めて、今では手伝いたいと言っているので。
今回のことですごく痛感していること。
使い古されて聞いた言葉ではあるけれど、やりたいことや目標は、口に出すことが本当に大事なんだな、ということ。
言葉にしないと誰にもわからないし、言葉にすると意見がもらえるのはもちろん、言い続けていると聞いている側が(本当にずっと言い続けていると)仲間になってくれたりする。
近くで言い続けられると、注意が向いたりするのかな、とも思う。
だからレモネードやキッチンカーやフードトラックや屋台(後者3つの違いがあまりわかってないのですべて羅列)、流行ってるじゃん!みたいな。
夫は完全にそれ。
でも、それで全然いい。
自分がおかしいのかな?無謀かな?と不安でいるより、たった一人でも応援してくれる人がいるのは心強い。
今はまだそこまでの仲間やファンを作れていないけど、まず私自身が信じていなくては。
まずは資格、並行して商品づくり。
うちのレモネードは、有機レモンにこだわらない方針で考えています。
なんか、、そこかな?って思ってて。
オーガニックでないもののリスクは、皮に含まれる農薬だか防カビ剤らしいので、皮を使わないつもりです。
変に、というか過剰に高価格のものにしたくなくて。
育児って、ある部分では諦めに慣れることだとも思っていて、例えばアンパンマンに触れてしまうこととか、ジュースを与えたくないのに、親族が与えてしまうこととか。
なので、オーガニックに過剰にこだわるのではなく、身体に害のなく安心できるものを提供できればいいかなって。(だから農薬リスクのある外皮を除く)
あとは、甘味料。
はちみつを使うと乳児が万が一口にするといけないから(二歳になってもまだ自分の子どもにはちみつを与えていない私)、三温糖がいいかな、とか思っています。
メープルシロップでも試したけど、ちょっとさらさらしすぎというか。
コクが少なくて。←メープルシロップが安物だったから??
アガベは甘味料としては有名だけど、味気ないかなとか。
白砂糖はちょっと敬遠されそうだし、であれば氷砂糖もどうなんだろうとか。
このお店は健康マニアに向けたものではないけど、【親としても・自分自身にとっても】罪悪感が少ないことが大事。そこはすごくこだわりたい。
だから、三温糖がちょうどいいかなっていう自分の考え。
ゆるヘルシー、ギルトフリーって感じかな。
こういうことは得意なんだけど、それにしても資格取得はめんどくさい。
夫様様です。
まだ、資格、とってないけどね。
レストラン情報(群馬県高崎市):給食カフェ&ホッとスペース サミートス
最近妹づいています。
彼女が幸せそうでないと、私も心がシクシクするから。
不幸だともツライとも言われていないけど、きっとすごく元気なわけでもないから、せめて頻繁に会ってストレス発散の一助になれたらと思っています。
で、自宅保育の妹にママ友を作りたく、先日群馬女子会(ママ友会)を開催してきました。
といっても、私と、Twitterで知り合ったお友達と、妹の3ママ+子ども。
余談だけど、産前はママとか言われるの嫌だわとか謎のこだわり持っていたけど、子どもが生まれるとそんなこと些末な問題すぎて、どうでもよくなりますね。
ランチ会場は以前から気になっていた、高崎のカフェ。
キッズスペース併設!高崎で子連れランチなら最強説。サミートス
入口の写真を撮ってくるの忘れた!のと、食べログに写真がなさすぎなので、あとで投稿してあげようと思った。
食べログのアカウントないので、まずはアカウント作成からだけど…。
子連れ嬉しいポイント①キッズスペース×リビングでカフェが楽しめる
こちらはキッズスペースを引きで撮ったもの。
入室してすぐ、テンション上がった姪っ子が転がってますが…。
いや、10畳もないかもしれない。
縦長なのでサイズ感がうまくつかめなかったけど、8畳から10畳くらい?
貸し切りには最低大人3名以上からなので、ロディや子ども用いすなど、基本3セットづつありました。
逆に言うと、3名以上ではあるものの、子どもありならそれ以上だと厳しそうで、お部屋を貸し切るには親子3組あるいは夫婦2組などの使い方がよさそう。
子連れ嬉しいポイント②リーズナブルな料金設定
料金設定はリーズナブルで、キッズルーム利用料は大人一人50円/1時間。
ただし、それ以外に1オーダー以上が必要になりますが、基本的にメニューもお手頃価格でした。(コスパの問題はさておく)
子連れ嬉しいポイント③罪悪感の少ない、ギルトフリーなメニュー
最近私が気になってる観点、ギルトフリー。
グルテンフリーとかヴィーガンって実際生活に取り入れるの難しいけど、罪悪感なし=ギルトフリーで食事を楽しみたい、って思考を持つ人は多いんじゃないかなって。
で、こちらの食事はまさにそれでした。
身体に優しそうだから、子どもに安心して与えられるのはもちろん、自分も罪悪感少なく楽しめる。パンケーキじゃこうはいきません。
こちらが大人用。
子どものごはん写真もありますが、大人のものからおかずの種類と量が減った形です。
率直な意見を言ってしまうと、正直フードはリーズナブルだけども価格なりな印象でした。
質は悪くないけど、ボリューム(種類)が。
特に子ども用に関しては、この内容で380円は高いような気がしました。
価格が安いからといって、中身が釣り合わなきゃ結果高いと思うので。
というわけで、わりと気に入ったお店ではあるものの、少し気になった点も併せてメモしておきます。※悪口ではない。
子連れおでかけって、気になる観点が多いですもんね。
子連れ気になるポイント①子どものトイレ事情
BOYSはまだおむつ、姪っ子もトイトレ中だったのでおむつ替えスペースの有無は気になるところ。
なんですが、私がトイレを使用した限りでは、おむつ替え台はなさそうでした。(もしどこかに隠されていたらごめんなさい)
ただ、今回は個室貸し切りだったので、貸し切りスペースの中で替えた子もいました。
児童館とかってそうだし、参加者的に問題なければ&汚さなければそれでいいと思うけど、だめだったのかな。
確認していないのでわかりません。
ただ、お店の方は子どもに理解ありそうだったので、NGとは言われないと思います。
子連れ気になるポイント②配膳のタイミング
子どもたちはみなキッズプレートが食べられる年齢。なので、それぞれランチをオーダーしました。
が、お伝えした目安時間を20分以上経過しても来ず…。
出るタイミングは厳しく言われていたため、ひやひやでした。
結果、終了時間の15分前に子どものごはん、10分前に大人のごはん、だったかな?
どうしても間に合いそうにないタイミングだったので、退出時間だけは少し猶予をいただきました。
※クレームつけたわけではない
この点については少し、改善していただきたいと思いました。
色々事情はあったものとお察ししますが…。
子連れ気になるポイント③ベビーカーでの入店
これは、難しいです。
少なくとも、キッズスペースまで持参するのは無理だと思った方がよさそうです。
ですが、入り口付近に少しおけそうなスペースがあったのと、ベビーカーで来店している方はいらっしゃったので、入店自体は大丈夫そう。
こちらのお店はそもそも一見さんは難しそうなので(当日も入り口には貸し切りの札がかかっていました)予約のお電話をする際にそのあたりも相談した方がよさそうです。
まとめ:群馬×子連れ×ランチ ならサミートスいいよ
いろいろネガティブ情報も書いてしまったけど、統括するとよかったです。
近くにあったらたぶんよく使うと思うし、メニューのべリエーションも多いので(男性は好きじゃないかもだけど)ママ会なんかには使いやすそう。※メニューは下部に画像のせておきます
キッズスペースだけじゃなく、潤沢なおもちゃがあるので子どもも大満足=親が大人の会話を楽しめる、かもしれない。
なかなか自宅にご招待って厳しいので、ほんと、近所にほしいな。
または自分で作りたいな。
そんなお店でした。
あ、メニューはこちら
横になってるー
でも気にしない
私たちが頼んだのは、こちらのセット。揚げパン付きです。
こんなのもあるみたい。
あとたまにイベントも?
【あるある?】輝く人こそ邪魔したくなる心理
停電情報の確認場所(県別、全国版)
北陸(富山県、石川県、福井県):http://www.rikuden.co.jp/teiden/f1/history/20190911/otj060.html
関東近郊(茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県):http://teideninfo.tepco.co.jp/html/00000000000.html
中部(愛知県、三重県、岐阜県、静岡県、長野県):https://teiden.chuden.jp/p/index.html
近畿(福井県、岐阜県、京都府、滋賀県、奈良県、三重県、和歌山県、大阪府、兵庫県):https://www.kepco.co.jp/energy_supply/supply/teiden-info/index.php
四国(香川県、愛媛県、徳島県、高知県):https://www.yonden.co.jp/nw/teiden-info/index.html
中国(鳥取県、島根県、広島県、岡山県、山口県、※兵庫県、※香川県、※愛媛県):http://www.teideninfo.energia.co.jp/LWC31200.html
九州(福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県):http://www.kyuden.co.jp/info_teiden/fukuoka.html
沖縄県:http://www.okidenmail.jp/bosai/
青空美容室も夢ではないかも
お店作り:「いてもいい場所を作る」ことが私の目標
ちょっと座れる場所を提供したい。
もっと言うと本当は、まだコミュニケーションの取れない赤ちゃんや、元気な盛りの幼児、あるいは様々な事情があって静かにしているのが難しい人とその付き添いの方が、いてもいい場所を提供したい。
これが、私の本当にやりたいこと。
「いてもいい場所」を作ること。
現状だと、子ども、老人、障害のある方、などは広く一般に開放された施設や設備を使用するのが難しかったりします。
ではどうなっているかというと、それ専用の場所にいるのが正しいとされているような気がします。
仕方ないだろ、と言われるかもしれないけど、私にはそれがよくわからないでいます。
子どもを持つのは自己責任、だから苦しみにも耐えろ、にもそもそも違和感があります。
でも、私が気になって仕方ないのは、介護の必要な家族を持った時の、介護者の人生。
だからここれは、実は、遊び場や休憩場所だけにとどまる話ではありません。
例えば。。
よく行くスーパーに、いつも大きな声を出している人がいます。
年齢はおそらく私より上で、私が見かけるときはたいてい近くにご両親と思われる方が付き添っています。
そういう時の、一緒にいる家族の顔を私は気にしてしまいます。
息子は今のところ、おそらく知的障害や麻痺などはありません。
でも、今後このままかどうかはわからない。
医療事故はいつ起きるかわからないし(知人のお子さんはそれにより脳性麻痺だかで寝たきりの生活を送っていますし、外傷的などのリスクも生きている限り誰にでも起こりえます)
脱線しましたが、今のところいわゆる五体満足である息子であっても、誰でも経験するただのイヤイヤ期であっても、いつも笑顔で世話をすることが、私はできていません。
例えば昨日はチャーハンを握って投げて…をされて、手を叩いてしまった。
虐待レベルではないし、これくらいはよく外でも見る光景だけど、虐待をしている人だって、虐待したくてしているわけではないのかもしれない。
少なくとも、初回の段階では。
子を持つ親が現状に不満をこぼし、批判されるとき。
その文脈は以下のようなものだと思っています。
・子どもを持ったのは自己責任。
・家族のある生活は幸せだ。
・そして、その幸せはオプションである(なくても生きていけるものを得たという意味で)のだから、困難にも耐え、自分の楽しみを二の次三の次にすべき。
・だって、子どもを持てなくて苦しんでいる人もいるのだから。
・生む前にわかっていたでしょう?
私も妊娠出産する前はそうでした。
妊娠中に入院しても、まだその考えでいました。
だから、無理をすることは、偉いことだと思っていた気がします。
そして、そうできない人を「根性なし」「やる気がない人」のようなレッテルを貼っていたかもしれません。
今ならわかります。
それは、強者の論理だったのだと。
社会的弱者の立場になって初めて、それがいかに思慮の浅いことだったかを痛感しています。
我慢やパワープレイのようなものにのみ価値を見出していたら、そうでない派の人の存在意義はなくなってしまう。
当時の私は、健常者なのに強者ではない人のことを、怠惰な人だと見ていたのでした。
一方で、障害があったり、明らかに社会的弱者とされている人のことは、明らかに守るべき存在として見ていたようにも思います。
大事なのは、守るではなくて(シーンによって守るもありますが)共存することなのに。
身体が動かなくても、デザインセンスがすごいとか、エラーの検出がすごく得意とか、私にできないたくさんのことを得意とする人がいる。
そういう、それぞれの得意を活かすこと。
それが本当の「いてもいい場所づくり」なのだと思っているし、私がこの数年感じていた、実現したい世界はそういうものなんだろうな。
自分だけでは到底できる気がしない。
誰かの力を借りたとしても、実現できるかがわからない。
だけど、この課題を解決できたとき、自分自身が本当に救われるようにも思うのです。
いてもいい場所があれば、挑戦もできるかもしれない。
失敗しても、存在していいのだから。
迷惑をかけても、ある人に嫌われてしまっても。離婚しても、生涯独身でも。
お店作りでスタートしようと思っている私のビジネスですが、実はそんな思いがあるのでした。
揺れる心
私にかわいい妹がいることは何度も書いているけど、私には他にも、血の繋がりのない、とても大事に思う友人がいる。
どちらも社会人になってからの友人で、元同僚。
どちらも頻繁に連絡を取るわけではないけど、どんなサービスをどんな人に届けたいか?みたいなことを考える時、私はよく彼女たちのことを思う。
誠実で、頑張り屋さんで、不器用なところがあって、それになにより、人間らしさがある。
だから仕事での理不尽があれば不満を持つし、そんな時は一緒にくだを巻ける、そんな存在。
そこで愚痴の一つも言えないような相手ではない、それがとても大事。
たくさんの時間を過ごした大事な仲間。
↑そんな彼女たちにしか伝わらない画像
そんなことを思っていたら、先日ツイッターのタイムラインに流れてきた一言。
人生とは、いくつファミリーを築けるかだと思ってる、という説。(意訳だし詳細は忘れた)
それを読んで一番に思ったこと。
私にはファミリーがある。
だけどどうも数の勝負だとは思えなくて、ファミリーがあるならばそれだけで幸福だろうし、質ではないか、と。
そして、ファミリーという時、彼女たちと過ごした組織は間違いなくファミリーだった、はずだとも思える。
そんななか、私はこのごろずっと、二つの間で揺れている。
しばらく黙って我慢して今の環境を続けるか。従順に、上司や仲間とのバランスを考えて、社内政治に目と耳を配りながら。
もう一つが、以前から書いているような、自分のビジネスを始めるか。
後者は、やらないと後悔する気もする。
だけど、圧倒的に不安。
それなりに周りには起業経験者や知り合いもいる、サポートするとの声も聞く。
それでも不安。
もう、私だけの生活ではないとも思ってしまったり。
でも…。
じゃあ我慢して続けるのか?今の環境を?
住宅購入をして以降よく思うけど、人は賢く意思決定したい(したと思いたい)生き物なんだろうと思う。
たぶん、今の私もそれ。
失敗が怖いもあるけど、考え尽くさずに意思決定して失敗する、それが怖いのかもしれない。
ここでファミリーの話に戻って…。
もしこれが、今も変わらず近くで仕事をしていて、双方それなりに時間に余裕があって、だったとしたら、彼女たちとすぐにビジネスを始められた?
きっと違う。
そもそも、もし当時と環境が変わらなかったら、私はきっと自分のビジネスをしたいと思うこともなかったような気がするから。
痛みがないと、真剣に向き合えないのが人間だとしたら、当時の私たちには大きな痛みをもっていなかったと思うから。
人生100年時代と言われるけど、少なくとも現役時代が長くなることは間違いない。
そんな時代にあって、我慢勝負の仕事を、残りの何十年続けていける気がしない。
これは今リアルな痛みを持っている私だけでなく、健康で平均的で人のいい、夫にも言えること。
だから、どんな人にも言えること。
あと何十年、今のような生活を少しづつ頑張る、我慢する。
そういう毎日をあと何十年、続けていくのって、どうなんだろう。
どうやったら、そのモチベーションが続くんだろう。
私はやっぱり、自分のビジネスをやりたいと思う。
この頃、当初はバカにしていた夫の温度感も変わってきました。
言葉にするのは勇気がいる。
だけど、やりたいことを言葉にするのって、やっぱり大事だ。
お出かけ情報(伊香保温泉@群馬):石段街
家族旅行に行ってきました。
子どもができると、国内旅行のよさを再発見できるのがいいところだなぁ、と最近思っています。
もしDINKSのままだったら、この夏も海外旅行一択だったことでしょうし。
それもいいけど、人生に起こる様々な事情に合わせてその時を楽しむ、というのが素敵だなと思うのです。
自由が最高だ、と言い続ける人でいたくないのです。
それはさておき、群馬県渋川市にある、伊香保温泉です。
写真はその名物、石段街。
国内旅行なんて、温泉なんて、と思う人にこそ行ってみてほしいです。
温泉街って実は楽しいよ!
最近すごく思うのですが、楽しもうという姿勢がないと、どんなところでも厳しいと思っています。
レストランでも旅行でも、ただのお散歩でも。
だから、事前に数分でもいいから調べていくのって大事だよね、と。
だって正直、名物と言われても、初見で感動できるものって、世の中そんなに多くはないと思うんだよね。
こういうやつ。
ここからなにかが決まることはないけど、きっかけにはいいですよね。
あとで詳しく書けたらなーと思うけど、特に夜のお散歩が最高でした。
温泉街。
初めて温泉街で温泉街らしいことをしたなーと、満足満足。
ちなみに今回のお宿はこちら。
キッズ・ベビーフレンドリーでよかったです。
写真ないんだけど、子どもによりそった家族風呂とか。
多少古いけど、努力してる感じが私は好感持ちました。
これについてはあとで。
今すっごく、仕事がうまくいかなくて。
現実逃避にさくっと更新。